引っ越しました! - 2015.12.11 Fri
ずっと、仕事が忙しくて更新していませんでしたが、
引っ越したり、いろいろと環境が変わりました☆
エレクトーンは相変わらず続けています♪
今週は来年来日するベルリンフィルのコンサートのチケットの抽選に申し込んだのですが、
昨日、落選のメールが・・・(´・_・`)
ベートーヴェンの交響曲9曲を、日程を分けてのツアーになるようなのですが、
すごーく迷って決めただけに、ほっとしたような。
それに、結構チケット代も高いので、思い切って購入ボタンを押しただけに、
落選メールをみて、なんだかどっと疲れが出ました(笑)
一般発売ももうすぐなので、再度、よーくどのプログラムが良いか考えてトライしてみます!
まだ引っ越したばかりで、いろいろ環境が整っていないのですが、
徐々にそのあたりもご報告できたらと思っています。
引っ越したり、いろいろと環境が変わりました☆
エレクトーンは相変わらず続けています♪
今週は来年来日するベルリンフィルのコンサートのチケットの抽選に申し込んだのですが、
昨日、落選のメールが・・・(´・_・`)
ベートーヴェンの交響曲9曲を、日程を分けてのツアーになるようなのですが、
すごーく迷って決めただけに、ほっとしたような。
それに、結構チケット代も高いので、思い切って購入ボタンを押しただけに、
落選メールをみて、なんだかどっと疲れが出ました(笑)
一般発売ももうすぐなので、再度、よーくどのプログラムが良いか考えてトライしてみます!
まだ引っ越したばかりで、いろいろ環境が整っていないのですが、
徐々にそのあたりもご報告できたらと思っています。
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沖縄旅行6 ~ 首里金城町 ~ - 2015.03.07 Sat
有名な観光地、首里城の近くにあるのですが、
個人的に凄くよかったので紹介します。
じつは、首里城周辺の石畳の町並みを歩きたいなと思っていったところ、
偶然見つけたもので、ビックリしたのですが
パワースポットらしく、興味のある人は周辺を歩きつつ行かれたらと思います。
首里金城町の大アカギ
首里城の南、沖縄県立芸術大学の並びに入り口があります。
うっかりすると、見逃してしまいそうですが、入り口はこんな感じです。

その横の傾斜を下って行きます。
住宅の間にあるので、少し心配ですが大丈夫です。

雨のあとは滑りやすいので、気をつけた方が良いのと、この先手すりはあるものの階段なのでヒールは危ないかもしれません。

降りて行くと、突然開けた場所となり、大きなスギが何本も!!
樹齢300年とも云われている、いままで見たこともない大きなスギで迫力がありました。
戦時に首里城が攻撃されたため、焼けてしまったところも多い中、
本当に奇跡的に残ったものだと思いますが、ほこららしきものもあり、神秘的な雰囲気でした。
1972年に国の天然記念物に指定されているそうです。



首里金城町の大アカギの詳細:http://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000162846/
首里金城町の石畳
オオアカギを見るために、降りた開けた場所の先を右に抜けて行くと、石畳があります。
金城町の石畳道は1522年、尚真王代に初めて造られたもので、
首里城から那覇港や沖縄本島南部へ通じる主要道路として整備されたものだそうです。
首里城は琉球王朝の城で、当時海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にたっており、
その首里城に繋がる道だったということですね。
先ほどのオオアカギが戦火を免れたように、その直ぐ近くの石畳が約300m現存しています。
丘陵地だけあって周辺は坂も多いですが、周辺には赤瓦屋根の民家も多く、
琉球王国の城下町を思わせる所がたくさん残っています。
雨の日等は、特に滑りそうなので、注意が必要そうですが、とっても素敵なので歩いてみてください。







金城街の石畳:http://www.naha-navi.or.jp/kinjoIshiTatami.html
石畳から少し歩くと、首里高校。
首里高校の隣は、発掘作業がされていました。


その並びに、首里琉染のお店があり、中で染物が販売されていました。
染物の体験もできるようです。




首里琉染: http://www.shuri-ryusen.com/
人も殆どいなかったからかも知れませんが、
この近くを情緒溢れる風景をみながら歩いていると、
凄く雰囲気がよく、何となく昔の琉球王朝に凄く興味がわいたので、帰ってきてからこの本を読みました。
自分で見てきた首里城と歩いた道が、この本を読んでいる間タイムスリップしたように繋がって、
とっても読み応えがありました。
と、同時に戦争に巻き込まれてしまい失われてしまったものの多くが、悔やまれて仕方ない気持ちにもなりました。
興味がある方は、行く前にでも一読して行かれるとこの辺りを歩くのが何倍も楽しくなると思います。
個人的に凄くよかったので紹介します。
じつは、首里城周辺の石畳の町並みを歩きたいなと思っていったところ、
偶然見つけたもので、ビックリしたのですが
パワースポットらしく、興味のある人は周辺を歩きつつ行かれたらと思います。
首里金城町の大アカギ
首里城の南、沖縄県立芸術大学の並びに入り口があります。
うっかりすると、見逃してしまいそうですが、入り口はこんな感じです。

その横の傾斜を下って行きます。
住宅の間にあるので、少し心配ですが大丈夫です。

雨のあとは滑りやすいので、気をつけた方が良いのと、この先手すりはあるものの階段なのでヒールは危ないかもしれません。

降りて行くと、突然開けた場所となり、大きなスギが何本も!!
樹齢300年とも云われている、いままで見たこともない大きなスギで迫力がありました。
戦時に首里城が攻撃されたため、焼けてしまったところも多い中、
本当に奇跡的に残ったものだと思いますが、ほこららしきものもあり、神秘的な雰囲気でした。
1972年に国の天然記念物に指定されているそうです。



首里金城町の大アカギの詳細:http://www.jalan.net/kankou/spt_guide000000162846/
首里金城町の石畳
オオアカギを見るために、降りた開けた場所の先を右に抜けて行くと、石畳があります。
金城町の石畳道は1522年、尚真王代に初めて造られたもので、
首里城から那覇港や沖縄本島南部へ通じる主要道路として整備されたものだそうです。
首里城は琉球王朝の城で、当時海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にたっており、
その首里城に繋がる道だったということですね。
先ほどのオオアカギが戦火を免れたように、その直ぐ近くの石畳が約300m現存しています。
丘陵地だけあって周辺は坂も多いですが、周辺には赤瓦屋根の民家も多く、
琉球王国の城下町を思わせる所がたくさん残っています。
雨の日等は、特に滑りそうなので、注意が必要そうですが、とっても素敵なので歩いてみてください。







金城街の石畳:http://www.naha-navi.or.jp/kinjoIshiTatami.html
石畳から少し歩くと、首里高校。
首里高校の隣は、発掘作業がされていました。


その並びに、首里琉染のお店があり、中で染物が販売されていました。
染物の体験もできるようです。




首里琉染: http://www.shuri-ryusen.com/
人も殆どいなかったからかも知れませんが、
この近くを情緒溢れる風景をみながら歩いていると、
凄く雰囲気がよく、何となく昔の琉球王朝に凄く興味がわいたので、帰ってきてからこの本を読みました。
自分で見てきた首里城と歩いた道が、この本を読んでいる間タイムスリップしたように繋がって、
とっても読み応えがありました。
と、同時に戦争に巻き込まれてしまい失われてしまったものの多くが、悔やまれて仕方ない気持ちにもなりました。
興味がある方は、行く前にでも一読して行かれるとこの辺りを歩くのが何倍も楽しくなると思います。
首里城への坂道:鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像 (単行本)
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- 沖縄旅行6 ~ 首里金城町 ~
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沖縄旅行5 ~ ひめゆりの塔 ~ - 2015.03.07 Sat
ひめゆりの塔は沖縄戦を語る上で
必ず出てくる場所だと思うので、知っている人も多いと思いますが、
私も一度は見ておきたい場所だったので、行ってきました。
アクセス
場所は、糸満市にあるのですが、交通が非常に不便なところにある為、
那覇市や空港からは、バスを乗り継ぐかタクシー、レンタカーもしくは
バス会社から出ているツアーを利用すると良いと思います。
交通アクセス: http://www.okitour.net/sightseeing/tatsujin/00167/
概要
昭和21(1946)年4月7日序幕、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑。

ひめゆりというのは、元は「姫百合学徒隊」で、
沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒だったそうです。
ちなみに、沖縄県立第一女学校の校誌名が「乙姫」、沖縄師範学校女子部の校誌名が「白百合」で
組み合わせて「姫百合」だったそうですが、戦後にひらがなで記載されるようになったとの事。
第三外科壕は、ひめゆりの塔のすぐ横にありますが、本当に小さな防空壕というか洞穴に近いものであったことに非常にビックリしました。
中は9mの深さで、畳100枚分の広さがあったとの事ですが、
岩でごつごつした穴の中で、病棟としての役割をきちんと果たせていたのか、
実物をみて非常に思うものがありました。

またアメリカ軍の攻撃や自決により多数の生徒が亡くなっており、生き残りはたったの5名だったそうです。
行く前にそれほど、事前情報を調べて行かなかったのですが、実際はだいぶイメージと違っていました。
塔とつくので、大きな建物かと思っていたのですが、非常にひっそりとしたもので
それが返って戦争やひめゆり学徒隊の悲惨さを感じさせるものだった気がします。
また敷地内には「ひめゆり平和祈念資料館」や、他の慰霊碑もありました。
経緯
この第三外科壕は非常に衝撃的だったのですが、ここに至る前は、沖縄陸軍病院におり、
昭和20(1945)年3月24日から、姫百合部隊の女子生徒と職員総計240名(教師18名・生徒222名)が、
南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍したそうです。
沖縄本島に4月1日にアメリカ軍が上陸してからは、日々激しい戦闘が続き、
5月25日に南部の地下壕に撤退、ほぼその頃には病院としての機能は失われていたとの事。
6月18日には戦局がほぼ絶望的となり、姫百合学徒隊は看護婦採用試験合格者を除き解散となったものの、
その頃には、日々地上は激しい砲撃にあっており、地上に出れる状態になかったとのこと。
第一外科壕、第二外科壕もあったが、アメリカ軍の攻撃の前、19日までに地下壕から脱出していた為に、
甚大な被害を被ることはなかったものの、結局は地上や一部第三外科壕に非難した生徒や職員はそこで多くが亡くなっている。
ひめゆりの塔の横にある、第三外科壕が最も被害を受けており、
19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、生き残ったのは5名(ひめゆり学徒隊の生徒が4名、軍医が1名)だったとの事。
職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名で、
このうち解散命令以後に死亡したのは全体の86%、117名であったといわれ、
また全体の35%にあたる47名は第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっているとの事。
戦後、戦死した生徒の親である金城和信らによって壕が発見され、遺骨が集められ、4月に慰霊碑が建てられたとの事。

ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆりの塔の奥に、平和記念資料館があります。
中には「ゆめゆり学徒隊」の歴史や、様々な資料をはじめ、第三外科壕を下から見たジオラマや
なくなった生徒さんたち、職員の方々1人1人の写真やエピソードも展示されています。
また生き残った方々の当時の証言のビデオも流れていました。
胸が苦しくなる内容が多く、改めて戦争の悲惨さを感じますが、
きちんと自分の目で見てよかったなと思います。
献花
慰霊塔の前に献花台があるので、お参りする場合は、入り口に献花が200円で販売されています。
食事
ちかくに駐車場やおみやげもある「ひめゆり会館」という所があり、沖縄らしい食事もありました。
メニュー: http://www.himeyuri.co.jp/3/

その他
知らなかったことですが、ひめゆりの塔に行って知ったことです。
ひめゆりの塔事件
沖縄返還後の昭和50(1975)年7月17日に、
現在の天皇陛下が皇太子、当時皇太子妃であった美智子さまが皇族による第二次大戦後初の沖縄訪問をした時、
怪我はなかったものの過激派により火炎瓶が足元に投げつけられた事件があったとの事。
島唄
THE BOOMの曲で、昔非常に流行ったのを覚えていますが、
作詞・作曲をしたボーカルの宮沢和史さんは沖縄戦やひめゆり学徒隊の話を聞いたことで
この曲を作ったそうです。
当時は中学生くらいだったので、本島の意味はわかっていませんでしたが、
ひめゆりの塔に行って改めて聴き、非常にこみ上げてくるものがありました。
詳しい歌詞やまとめについては下記参照。
http://matome.naver.jp/odai/2137646585772178801
フェアリー
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必ず出てくる場所だと思うので、知っている人も多いと思いますが、
私も一度は見ておきたい場所だったので、行ってきました。
アクセス
場所は、糸満市にあるのですが、交通が非常に不便なところにある為、
那覇市や空港からは、バスを乗り継ぐかタクシー、レンタカーもしくは
バス会社から出ているツアーを利用すると良いと思います。
交通アクセス: http://www.okitour.net/sightseeing/tatsujin/00167/
概要
昭和21(1946)年4月7日序幕、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊碑。

ひめゆりというのは、元は「姫百合学徒隊」で、
沖縄県立第一高等女学校と沖縄師範学校女子部の生徒だったそうです。
ちなみに、沖縄県立第一女学校の校誌名が「乙姫」、沖縄師範学校女子部の校誌名が「白百合」で
組み合わせて「姫百合」だったそうですが、戦後にひらがなで記載されるようになったとの事。
第三外科壕は、ひめゆりの塔のすぐ横にありますが、本当に小さな防空壕というか洞穴に近いものであったことに非常にビックリしました。
中は9mの深さで、畳100枚分の広さがあったとの事ですが、
岩でごつごつした穴の中で、病棟としての役割をきちんと果たせていたのか、
実物をみて非常に思うものがありました。

またアメリカ軍の攻撃や自決により多数の生徒が亡くなっており、生き残りはたったの5名だったそうです。
行く前にそれほど、事前情報を調べて行かなかったのですが、実際はだいぶイメージと違っていました。
塔とつくので、大きな建物かと思っていたのですが、非常にひっそりとしたもので
それが返って戦争やひめゆり学徒隊の悲惨さを感じさせるものだった気がします。
また敷地内には「ひめゆり平和祈念資料館」や、他の慰霊碑もありました。
経緯
この第三外科壕は非常に衝撃的だったのですが、ここに至る前は、沖縄陸軍病院におり、
昭和20(1945)年3月24日から、姫百合部隊の女子生徒と職員総計240名(教師18名・生徒222名)が、
南風原にある沖縄陸軍病院に看護要員として従軍したそうです。
沖縄本島に4月1日にアメリカ軍が上陸してからは、日々激しい戦闘が続き、
5月25日に南部の地下壕に撤退、ほぼその頃には病院としての機能は失われていたとの事。
6月18日には戦局がほぼ絶望的となり、姫百合学徒隊は看護婦採用試験合格者を除き解散となったものの、
その頃には、日々地上は激しい砲撃にあっており、地上に出れる状態になかったとのこと。
第一外科壕、第二外科壕もあったが、アメリカ軍の攻撃の前、19日までに地下壕から脱出していた為に、
甚大な被害を被ることはなかったものの、結局は地上や一部第三外科壕に非難した生徒や職員はそこで多くが亡くなっている。
ひめゆりの塔の横にある、第三外科壕が最も被害を受けており、
19日朝、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、生き残ったのは5名(ひめゆり学徒隊の生徒が4名、軍医が1名)だったとの事。
職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名で、
このうち解散命令以後に死亡したのは全体の86%、117名であったといわれ、
また全体の35%にあたる47名は第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっているとの事。
戦後、戦死した生徒の親である金城和信らによって壕が発見され、遺骨が集められ、4月に慰霊碑が建てられたとの事。

ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆりの塔の奥に、平和記念資料館があります。
中には「ゆめゆり学徒隊」の歴史や、様々な資料をはじめ、第三外科壕を下から見たジオラマや
なくなった生徒さんたち、職員の方々1人1人の写真やエピソードも展示されています。
また生き残った方々の当時の証言のビデオも流れていました。
胸が苦しくなる内容が多く、改めて戦争の悲惨さを感じますが、
きちんと自分の目で見てよかったなと思います。
献花
慰霊塔の前に献花台があるので、お参りする場合は、入り口に献花が200円で販売されています。
食事
ちかくに駐車場やおみやげもある「ひめゆり会館」という所があり、沖縄らしい食事もありました。
メニュー: http://www.himeyuri.co.jp/3/

その他
知らなかったことですが、ひめゆりの塔に行って知ったことです。
ひめゆりの塔事件
沖縄返還後の昭和50(1975)年7月17日に、
現在の天皇陛下が皇太子、当時皇太子妃であった美智子さまが皇族による第二次大戦後初の沖縄訪問をした時、
怪我はなかったものの過激派により火炎瓶が足元に投げつけられた事件があったとの事。
島唄
THE BOOMの曲で、昔非常に流行ったのを覚えていますが、
作詞・作曲をしたボーカルの宮沢和史さんは沖縄戦やひめゆり学徒隊の話を聞いたことで
この曲を作ったそうです。
当時は中学生くらいだったので、本島の意味はわかっていませんでしたが、
ひめゆりの塔に行って改めて聴き、非常にこみ上げてくるものがありました。
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- 沖縄旅行6 ~ 首里金城町 ~
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- 沖縄旅行4 ~ 沖縄マメ知識 ~
沖縄旅行4 ~ 沖縄マメ知識 ~ - 2015.03.07 Sat
ガイドさんやお店の方から聞いた沖縄のマメ知識のまとめです。
関東方面とは気候も違うので、生活の面でも色々な興味深いことが多く話を聞いていて飽きることがなかったです。
道路事情
とにかく、沖縄は車で移動する人が多いので、渋滞がつきものだそうです。
観光バスや路線バスが多いことも理由のひとつだと思いますが、
最近は東京では自転車が増え、少し問題になっていますが、沖縄は自転車に乗る人は少ないそうです。
また朝と夕方で渋滞する進行方向が逆になることから、時間帯で中央車線が変わるところがあるそうです。
レンタカーを借りて移動される方は、注意が必要かもしれませんね。
道路の上の電光掲示板の進行方向が変わるそうです。
桜
日本の春を感じさせる桜ですが、沖縄では2月上旬ですでに桜は終わりに近かったですw
本当に暖かいんですね。
ちなみに、本州では南から北に開花して行きますが、沖縄では北から南に開花するそうで、
12月後半から1月の中旬に桜まつりが多いそうです。
花・木
沖縄の花はデイゴ。
赤い花で、とても綺麗なんだそうですが、害虫被害が多く最近は少なくなっているそうです。
県木は琉球松。
樹齢の長い、立派な松を見てきたので、また紹介します。
県魚はタカサゴ。
地元では、ぐるくんと呼ばれているそうです。
さとうきび
2月がちょうど収穫の時期でした。
1月から手作業で収穫し始める為、非常に時間がかかるそうです。
最近はNCO310という台風に強い品種があり、黒糖を取りだしていることが多いそうです。
本来はサトウキビの汁を煮詰めて作りますが、シーズンによってまちまちで
甘さが足りないと普通の白糖を足すこともあるそうです。
野菜
沖縄の野菜の名産は、へちま。
へちまの味噌煮等、ゴーやと同じくらいの消費量で夏の名産品だそうです。
またパパイヤも野菜で、青い時に収穫し、炒めて食べるそうです。
フルーツのイメージが強かったので、ビックリしましたが、
東南アジアだとパパイヤが入った料理もあるので、似ているところがあるのかも知れませんね。
海水浴
本州では海開きは7月1日といわれていますが、沖縄は3月下旬だそうです。
3月下旬では少し寒いそうですが、4月の下旬や5月のGWには泳ぐのに全く問題ない程度に暖かくなるそうです。
紫外線
沖縄の紫外線は強く、北海道の約7倍との事。
曇りでも紫外線は強いそうなので、旅行するときには日焼け止めを持っていったほうが良いそうです。
また日差しも太陽が出ると、非常にまぶしいのでサングラスがあるといいです。
野球
プロ野球のキャンプ地としても有名ですね。
唯一の公式戦ができる球場として、沖縄セルラースタジアムがあり、
近年は沖縄出身の選手も多く、人気スポーツのひとつとの事。
巨人や阪神ファンが多いらしいです。
ヤクルトスワローズの常宿は、ホテル日航那覇グランドキャッスルで巨人のキャンプが始まるとかなり街にも活気が出てくるそうです。
家の造り
沖縄はもともとは木造瓦の家が多かったそうですが、8月から10月に非常に台風が多いため、
コンクリート造の家が多いそうです。
沖縄の家で非常に多いのが、赤屋根瓦(よく写真でみるオレンジ色の屋根)で、
台風で飛ばないように塗り固められており、また屋根の上にシーサーが居ることも多いです。
個人的に、すごく可愛くていいなぁって思いました。


また、門と家の間に壁(ヒンプンと呼ばれる)があり、目隠しの役割もあるそうですが、
魔よけの意味もあるそうです。
門の両脇のシーサーも同じような役割ですよね。
また最近は減っていますが、断水が多いことから屋上には水のタンクもちらほら見ることができます。
シーサー
沖縄に行くといたる所で、シーサーを目にしますが、
向かって右が雄、左が雌だそうです。
右の雄は、口が開いていて福を吸う、左の雌は、口が閉じていてあらゆる災難を家に招き入れないとされています。
先ほど、紹介した屋根の上のシーサーは怖い顔をしているものが多いそうです。
水
ホテルの水は生水ではないそうですが、家庭の水は硬水なんだそうです。
その為、旅行で来る人はNGの場合もあるそうです。
前回の記事で書いた、ぶくぶく茶も沖縄の硬水だからこそ泡立ちが良いといった記載も見かけました。
お酒
ビールはオリオンビールが有名。
県内で7割のシェア。苦味が少なく、暖かい気候の沖縄の人は好んで飲むそうです。
名護に工場有。
また有名な泡盛は、47の工場があり、600種類ほどあるそうです。
昔は80度くらいのものもあったそうですが、現在は60度が最高。
水割りで飲むことが多いが、ウコン茶やシークァーサー割、最近ではコーヒー割りも流行っているそうです。
3年以上寝かせた、古酒の方がおいしいとか。
地元の方のオススメだと、比嘉酒造の残波というのが飲みやすく、
強めでは、菊之露や久米仙がおいしいと評判だそうです。
お墓や葬儀等
沖縄は先祖崇拝でご先祖様を大切にする風習が強く、
お墓が広く、敷地も広いものが多いです。
中は空洞で階段があり、昔は洗骨という埋葬方法だったとの事。
洗骨は、そのままご遺体をお墓に入れて、3年後に遺骨をお水と泡盛で洗い、再度埋葬する方法で、
長男のお嫁さんが最初に洗骨していたそうです。
現在は火葬ですが、お葬式には平均で2、300万円かけることが多く、
一族、門中(むんちゅう)のお墓をもっている人は、1000万円以上をかける人もいるとか。
お墓に暗いイメージはなく、家の敷地内にお墓がある人も多く、
お墓が先でその隣に家を建てるケースもあるそうです。
その為、住宅街の中にお墓があることも普通で、もっと身近なもののようです。
2000円札
守礼の門が描かれていることから、全国一の2000円札の流通県なんだそうです。
最近は殆ど見ることもないのですが、沖縄ではATMに2000円優先ボタンもあるそうで、
おみやげにするのにもいいかも知れませんね。
その他
・沖縄のほとんどの行事は旧暦。
・沖縄に多い苗字、金城、比嘉、大城、普天間、内間、仲間。
・80歳以上の女性には、うし、なべ、かまど さん等、変わった名前も多いそうです。
・東=あがり、西=いる(西表島)、北=にし、南=は(南風景:はえばる)という方言なので、
特に北は解りにくいとの事。
・苗字や学校名等は変わっているが、地名は方言のままも多い。豊見城市は、学校名等は「とみしろ」だが、地名は「とみぐす」
関東方面とは気候も違うので、生活の面でも色々な興味深いことが多く話を聞いていて飽きることがなかったです。
道路事情
とにかく、沖縄は車で移動する人が多いので、渋滞がつきものだそうです。
観光バスや路線バスが多いことも理由のひとつだと思いますが、
最近は東京では自転車が増え、少し問題になっていますが、沖縄は自転車に乗る人は少ないそうです。
また朝と夕方で渋滞する進行方向が逆になることから、時間帯で中央車線が変わるところがあるそうです。
レンタカーを借りて移動される方は、注意が必要かもしれませんね。
道路の上の電光掲示板の進行方向が変わるそうです。
桜
日本の春を感じさせる桜ですが、沖縄では2月上旬ですでに桜は終わりに近かったですw
本当に暖かいんですね。
ちなみに、本州では南から北に開花して行きますが、沖縄では北から南に開花するそうで、
12月後半から1月の中旬に桜まつりが多いそうです。
花・木
沖縄の花はデイゴ。
赤い花で、とても綺麗なんだそうですが、害虫被害が多く最近は少なくなっているそうです。
県木は琉球松。
樹齢の長い、立派な松を見てきたので、また紹介します。
県魚はタカサゴ。
地元では、ぐるくんと呼ばれているそうです。
さとうきび
2月がちょうど収穫の時期でした。
1月から手作業で収穫し始める為、非常に時間がかかるそうです。
最近はNCO310という台風に強い品種があり、黒糖を取りだしていることが多いそうです。
本来はサトウキビの汁を煮詰めて作りますが、シーズンによってまちまちで
甘さが足りないと普通の白糖を足すこともあるそうです。
野菜
沖縄の野菜の名産は、へちま。
へちまの味噌煮等、ゴーやと同じくらいの消費量で夏の名産品だそうです。
またパパイヤも野菜で、青い時に収穫し、炒めて食べるそうです。
フルーツのイメージが強かったので、ビックリしましたが、
東南アジアだとパパイヤが入った料理もあるので、似ているところがあるのかも知れませんね。
海水浴
本州では海開きは7月1日といわれていますが、沖縄は3月下旬だそうです。
3月下旬では少し寒いそうですが、4月の下旬や5月のGWには泳ぐのに全く問題ない程度に暖かくなるそうです。
紫外線
沖縄の紫外線は強く、北海道の約7倍との事。
曇りでも紫外線は強いそうなので、旅行するときには日焼け止めを持っていったほうが良いそうです。
また日差しも太陽が出ると、非常にまぶしいのでサングラスがあるといいです。
野球
プロ野球のキャンプ地としても有名ですね。
唯一の公式戦ができる球場として、沖縄セルラースタジアムがあり、
近年は沖縄出身の選手も多く、人気スポーツのひとつとの事。
巨人や阪神ファンが多いらしいです。
ヤクルトスワローズの常宿は、ホテル日航那覇グランドキャッスルで巨人のキャンプが始まるとかなり街にも活気が出てくるそうです。
家の造り
沖縄はもともとは木造瓦の家が多かったそうですが、8月から10月に非常に台風が多いため、
コンクリート造の家が多いそうです。
沖縄の家で非常に多いのが、赤屋根瓦(よく写真でみるオレンジ色の屋根)で、
台風で飛ばないように塗り固められており、また屋根の上にシーサーが居ることも多いです。
個人的に、すごく可愛くていいなぁって思いました。


また、門と家の間に壁(ヒンプンと呼ばれる)があり、目隠しの役割もあるそうですが、
魔よけの意味もあるそうです。
門の両脇のシーサーも同じような役割ですよね。
また最近は減っていますが、断水が多いことから屋上には水のタンクもちらほら見ることができます。
シーサー
沖縄に行くといたる所で、シーサーを目にしますが、
向かって右が雄、左が雌だそうです。
右の雄は、口が開いていて福を吸う、左の雌は、口が閉じていてあらゆる災難を家に招き入れないとされています。
先ほど、紹介した屋根の上のシーサーは怖い顔をしているものが多いそうです。
水
ホテルの水は生水ではないそうですが、家庭の水は硬水なんだそうです。
その為、旅行で来る人はNGの場合もあるそうです。
前回の記事で書いた、ぶくぶく茶も沖縄の硬水だからこそ泡立ちが良いといった記載も見かけました。
お酒
ビールはオリオンビールが有名。
県内で7割のシェア。苦味が少なく、暖かい気候の沖縄の人は好んで飲むそうです。
名護に工場有。
また有名な泡盛は、47の工場があり、600種類ほどあるそうです。
昔は80度くらいのものもあったそうですが、現在は60度が最高。
水割りで飲むことが多いが、ウコン茶やシークァーサー割、最近ではコーヒー割りも流行っているそうです。
3年以上寝かせた、古酒の方がおいしいとか。
地元の方のオススメだと、比嘉酒造の残波というのが飲みやすく、
強めでは、菊之露や久米仙がおいしいと評判だそうです。
お墓や葬儀等
沖縄は先祖崇拝でご先祖様を大切にする風習が強く、
お墓が広く、敷地も広いものが多いです。
中は空洞で階段があり、昔は洗骨という埋葬方法だったとの事。
洗骨は、そのままご遺体をお墓に入れて、3年後に遺骨をお水と泡盛で洗い、再度埋葬する方法で、
長男のお嫁さんが最初に洗骨していたそうです。
現在は火葬ですが、お葬式には平均で2、300万円かけることが多く、
一族、門中(むんちゅう)のお墓をもっている人は、1000万円以上をかける人もいるとか。
お墓に暗いイメージはなく、家の敷地内にお墓がある人も多く、
お墓が先でその隣に家を建てるケースもあるそうです。
その為、住宅街の中にお墓があることも普通で、もっと身近なもののようです。
2000円札
守礼の門が描かれていることから、全国一の2000円札の流通県なんだそうです。
最近は殆ど見ることもないのですが、沖縄ではATMに2000円優先ボタンもあるそうで、
おみやげにするのにもいいかも知れませんね。
その他
・沖縄のほとんどの行事は旧暦。
・沖縄に多い苗字、金城、比嘉、大城、普天間、内間、仲間。
・80歳以上の女性には、うし、なべ、かまど さん等、変わった名前も多いそうです。
・東=あがり、西=いる(西表島)、北=にし、南=は(南風景:はえばる)という方言なので、
特に北は解りにくいとの事。
・苗字や学校名等は変わっているが、地名は方言のままも多い。豊見城市は、学校名等は「とみしろ」だが、地名は「とみぐす」
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沖縄旅行3 ~ 国際通りのお店 ~ - 2015.03.07 Sat
国際通りから行ける観光地や、よかったスポットのおすすめです。
とにかく、おみやげやさんや飲食店がたくさんあります。
一般的な観光ガイドブックや空港や国際通りのお店に置いてある、
無料のパンフレット等で見ると情報がたくさんありますので、あまり出ていなさそうな所や行ってよかったところを中心に。
第一牧志公設市場
国際通りの中間辺りの南側にある市場ですが、公設市場は戦後のヤミ市から続いているとの事。
地元の魚や果物、野菜、また色んな食材が売られていて、
ここも見ているだけでも非常に面白いので、オススメです。
市場は1階が魚やお肉等が売っており、2階が食堂になっています。
食堂は安くてボリュームもあるし、また1階で購入したものを自分で調理もできます!
朝10時から20時まで、食堂は21時まで。
40~50代の主婦の方が多いです。
第一牧志公設市場:http://www.odnsym.com/spot/kousetu.html
ゆんたくあしび温泉りっかりっか湯
宿泊したホテルは通常のビジネスホテルといった感じだったので、
歩き回った足や旅の疲れを癒すにはすごくオススメです。
国際通りから少し入ったところ(国際通りを挟んで上記市場と反対)にあります。
那覇セントラルホテルの1階なので、見つけやすいと思います。
ゆんたくあしび温泉りっかりっか湯:http://www.nahacen.com/rikka/
琉球珈琲館
沖縄にしかないお茶、ぶくぶく茶が飲めるお店です。
以前、何かで見たことがあり、非常に興味があったのですが、
今回突然ですが、沖縄に行ける機会ができ、絶対に飲んでみたいと思っていました。
ぶくぶく茶はもともと首里城周辺?で、明治時代や昭和初期まで飲まれていたお茶で、
歴史は600年とも云われているそうです。一時、姿をみなくなり、また愛好家により復活したとの事。
私が飲んだのは、少しアレンジされたバージョンみたいですが、紅芋タルトと一緒においしくいただきました!

国際通りのホテルJALシティ那覇の並び、ファミリーマートの隣にあります。
お店の外観

中の雰囲気


何軒か飲めるお店がありますが、国際通りで見つけたのがこのお店です。
伝統的なぶくぶく茶とは、少し違うようなのですが、ぶくぶく珈琲もあるので気軽に行くならよいかなと思います。
本格的なお店は少し離れていますが、何軒かあるので下のURLを参考に。
沖縄珈琲館:http://buku.jp/guide/index.html
嘉例山房:http://tabelog.com/okinawa/A4701/A470102/47000295/
うちなー茶屋ぶくぶく:http://www.okinawainfo.net/buku.htm
他にも、国際通りでは伝統的な民謡のような音楽と踊りや歌もいたるところで見ることができます。
この日も道路で若者がかっこよく披露していました。
飲食店も1時間に1回くらい、歌や踊りを披露されるお店も多いです。


ちなみに、運よく沖縄の結婚式「りゅう婚」っていうのかな?を見ることができました。
通りのかたがたにも祝福されて、とっても幸せそうでしたよ~!
とにかく、おみやげやさんや飲食店がたくさんあります。
一般的な観光ガイドブックや空港や国際通りのお店に置いてある、
無料のパンフレット等で見ると情報がたくさんありますので、あまり出ていなさそうな所や行ってよかったところを中心に。
第一牧志公設市場
国際通りの中間辺りの南側にある市場ですが、公設市場は戦後のヤミ市から続いているとの事。
地元の魚や果物、野菜、また色んな食材が売られていて、
ここも見ているだけでも非常に面白いので、オススメです。
市場は1階が魚やお肉等が売っており、2階が食堂になっています。
食堂は安くてボリュームもあるし、また1階で購入したものを自分で調理もできます!
朝10時から20時まで、食堂は21時まで。
40~50代の主婦の方が多いです。
第一牧志公設市場:http://www.odnsym.com/spot/kousetu.html
ゆんたくあしび温泉りっかりっか湯
宿泊したホテルは通常のビジネスホテルといった感じだったので、
歩き回った足や旅の疲れを癒すにはすごくオススメです。
国際通りから少し入ったところ(国際通りを挟んで上記市場と反対)にあります。
那覇セントラルホテルの1階なので、見つけやすいと思います。
ゆんたくあしび温泉りっかりっか湯:http://www.nahacen.com/rikka/
琉球珈琲館
沖縄にしかないお茶、ぶくぶく茶が飲めるお店です。
以前、何かで見たことがあり、非常に興味があったのですが、
今回突然ですが、沖縄に行ける機会ができ、絶対に飲んでみたいと思っていました。
ぶくぶく茶はもともと首里城周辺?で、明治時代や昭和初期まで飲まれていたお茶で、
歴史は600年とも云われているそうです。一時、姿をみなくなり、また愛好家により復活したとの事。
私が飲んだのは、少しアレンジされたバージョンみたいですが、紅芋タルトと一緒においしくいただきました!

国際通りのホテルJALシティ那覇の並び、ファミリーマートの隣にあります。
お店の外観

中の雰囲気


何軒か飲めるお店がありますが、国際通りで見つけたのがこのお店です。
伝統的なぶくぶく茶とは、少し違うようなのですが、ぶくぶく珈琲もあるので気軽に行くならよいかなと思います。
本格的なお店は少し離れていますが、何軒かあるので下のURLを参考に。
沖縄珈琲館:http://buku.jp/guide/index.html
嘉例山房:http://tabelog.com/okinawa/A4701/A470102/47000295/
うちなー茶屋ぶくぶく:http://www.okinawainfo.net/buku.htm
他にも、国際通りでは伝統的な民謡のような音楽と踊りや歌もいたるところで見ることができます。
この日も道路で若者がかっこよく披露していました。
飲食店も1時間に1回くらい、歌や踊りを披露されるお店も多いです。


ちなみに、運よく沖縄の結婚式「りゅう婚」っていうのかな?を見ることができました。
通りのかたがたにも祝福されて、とっても幸せそうでしたよ~!
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